Spiranoia -陶 猫 螺旋-
2014-04-03T09:10:05+09:00
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猫、螺旋、映画、陶造形。ぐうたら焼き物屋の言い訳ブログ。先ずは招き猫のお出迎え!!
Excite Blog
備中高梁 町家通りの雛まつり
http://naraku.exblog.jp/21847247/
2014-04-02T00:08:00+09:00
2014-04-03T09:10:05+09:00
2014-04-02T00:08:29+09:00
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イベントのこと
堕天使工房は今年は丁度石原直樹氏の個展と重なり、賑やかな雛まつりが迎えられそうです。
ところで、堕天使工房では毎年雛まつりに合わせて、特別メニューで雛まつりに来られたお客様をお迎えしています。一番の目玉は”日本で一番贅沢な善哉”ということで備中大納言、備中白小豆を和三盆だけで煮あげて餡にしたものを、モチ粟に掛けた当店でしか食べられない本当に贅沢な善哉を召し上がって頂いています。
その他、本物の杏仁をすり潰して作る”絶品の杏仁豆腐”、マスカルポーネ、マルサラワイン、サボイアルディの三つの素材を使った本物のティラミス、そしてクレーム・ブリュレ、チーズケーキ、アイスクリーム、キッシュロレーヌ等、全て手作りのスイーツを用意しています。
町中に飾られた様々なお雛を見て歩いた後、ちょっと一服にお立ち寄りいただき、様々なスイーツも楽しんでいただけたらと考えております。
日本で一番贅沢な善哉
備中特産の大納言の粒あんと、備中白小豆の漉し餡がモチキビの上にフワッとのって、小豆の風味がいっぱい。
大納言と白小豆の餡は讃岐和三盆だけで煮あげた特製の餡です。
お口直しは北海道の日高昆布をコトコトと醤油と日本酒と水だけで煮あげて、かつお節と和えた一品です。絶品の杏仁豆腐
本物の杏仁をすり潰した絞り汁から作る、風味豊かな香りの杏仁豆腐です。
よくある、アーモンドエッセンスなどを使った杏仁豆腐風の牛乳羹ではない本物の風味をご堪能ください。
フルーツパルフェ
アイスクリームのようでアイスクリームでない不思議なスイーツ。日本ではフルーツパフェと言うと、生クリームとアイスクリームを交互に盛り合わせたものが一般的ですが、是非本物のパルフェをお楽しみください。濃厚クレーム・ブリュレ
カスタードプリンよりずっと濃厚で、しかもまろやかな舌触り。表面のキャラメリゼをスプーンの先で割りながら、クレームと一緒に口に運べば絶妙のコンビネーションが口いっぱいに広がります。 堕天使チーズケーキ
堕天使工房オリジナルレシピのチーズケーキは、大人のためのチーズケーキと言えます。ワイン好きの方はワインが欲しくなるかも!甘さを抑えて、パルメジャーノチーズの風味を活かした工房の人気メニューです。工房特製アイスクリーム
生クリーム、牛乳、卵黄だけで作った手作りのアイスクリーム。後は、グラニュー糖とバニラビーンズ、コアントロー以外何も入れておりません。
工房のメニューは全て店主の堕天使が手作りしたオリジナルメニューばかりです。スイーツ好きの方には是非一度味わっていただきたいと思っております。
また5、6日の雛まつり当日はご希望の方には、本当の白酒を無料サービスさせていただく予定にしております。但し、数量に限りがありますので品切れの際はご容赦ください。また未成年の方、ドライバーの方はご遠慮いただきます。甘酒では有りませんので、アルコール度はほぼ日本酒並みです。
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秋田・津軽三味線ライブ
http://naraku.exblog.jp/21777636/
2014-03-13T01:09:00+09:00
2014-03-13T01:09:07+09:00
2014-03-13T01:09:07+09:00
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イベントのこと
今回で3回めになる小田島旺悦さんの三味線ライブ・コンサート。
初代小田島徳旺に師事し、秋田・津軽三味線の演奏活動を続ける小田島旺悦さんの軽妙な秋田弁でのトークを交えたライブ・コンサートです。夏になると、秋田竿燈まつりのお囃子の篠笛を担当して、竿燈祭りを盛り上げる元気いっぱいのオジさんです。でも、そろそろ後進に道を譲って竿燈まつりは引退などと話していますが、来年の夏にはまた祭りの血が騒いで・・・
今回のコンサートは4ヶ所を予定しています。全て入場は無料ということになっていますので、秋田三味線、津軽三味線を問わず民謡好きの方は是非ご来場ください。
3月25日(火)
高梁市成羽町下原326−1
カフェ・レストラン テキサス
Tel 0866−42−2245
3月30日(日)
高梁市本町95
池上邸無料休憩所
4月8日(火)
高梁市成羽町下原
ライブハウス スパイラル
Tel 0866−42−3999
4月10日(木)
高梁市文化交流館
1階ハイビジョンルーム
入場は無料です。但しテキサスとスパイラルでの飲食は有料となります。
お問い合わせ、その他は
090−8061−0778(堕天使工房)
までお願いいたします。
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石原 直樹展
http://naraku.exblog.jp/21775338/
2014-03-12T13:02:00+09:00
2014-03-12T18:24:38+09:00
2014-03-12T13:02:29+09:00
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イベントのこと
石原直樹さんの作品展岡山県倉敷市在住のアーティスト。抽象表現を主体とした作品作りをしている彼が、今回の個展では具象表現を用いた作品を展開しています。「今回は、鑑賞者に寄った立ち位置で作品作りをした。」という今回の作品作りは、普段の彼の作品に比べより多くの人に受け入れやすくなっているのかもしれない。
アート作品においても作品の世代間ギャップを強く感じる年頃になってきた私にとって、彼のように若い作家の作品を鑑賞する機会は貴重な時間になることだと思っています。ぜひ、お近くにお越しの際にはみなさまもお立ち寄りください。
石原直樹展
会期 3月26日〜4月13日
am10:00〜pm6:00
月曜、火曜日は休廊致します
716-0011 岡山県高梁市本町6
堕天使工房
お問い合わせ先 090-8061-0778(森上)
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宮本隆彫刻展
http://naraku.exblog.jp/21661889/
2014-02-08T16:01:00+09:00
2014-03-12T18:24:58+09:00
2014-02-08T16:01:51+09:00
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イベントのこと
今回、堕天使工房のギャラリーで開催する宮本隆彫刻展は、岡山県の彫刻会に多大な影響を残された宮本先生の功績を地元高梁をはじめ、県内の多くの方々に知っていただきたく企画しました。宮本先生は現在の高梁市備中町志藤用瀬に生まれ、東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業された後、文部省美術展覧会に初入選以後、合わせて32回の日展入選を果たされました。
また、岡山大学教育学部助教授として教鞭をとられるなか、多くの子弟の育成に努めてこられた方です。今日、岡山の彫刻会で活躍されておられる多くお彫刻科の諸先生方の中にも、宮本先生の薫陶を受けられた方が数多くおられます。
また、岡山県文化賞をはじめとして数多くの受賞を受けられ、その間には岡山県美術展の審査員などを歴任され岡山県の文化、芸術に多大の貢献をされてこられました。
今回の個展は先生の作品のなか、小品を中心にごく一部の展示となりますが、先生の卓越した造形力、表現力は十分にご覧いただくことが出来ると思っております。さらに、今回の個展の最大の趣旨は先生の制作された膨大な作品を一括して管理できる施設の実現を目指し、市民の皆さんにその実現を後押ししていただきたいという願いがあります。
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ほっぽらかしのブログ
http://naraku.exblog.jp/21661437/
2014-02-08T13:54:00+09:00
2014-02-08T13:54:39+09:00
2014-02-08T13:54:39+09:00
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勝手なこと
ということで、内容的には以前とあまり代わり映えのしないものかもしれません。でもそれだけではあまりに能が無いので、”美味しいもののこと”のジャンルを加えてみました。岡山県内の美味しいものの話や、私流のレシピなどちょっとずつ書いてみたいと思っています。
そんなわけで、またいつか放り出すかわからないのですが、とりあえずまたお付き合いください。
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蜜蜂のその後久しぶりのblog更新!!
http://naraku.exblog.jp/8104853/
2008-06-10T19:11:00+09:00
2008-06-11T15:32:11+09:00
2008-06-10T19:11:41+09:00
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蜜蜂のこと
先日、和蜂の養蜂を始めたというblogを書いてそのままでしたが、その後の様子をupしておきます。
今回手に入れた蜂群は非常に活発な群れで、日に日に巣が大きくなり蜂の個体数もずいぶんと増えてきたようです。
また、巣を出入りしている蜂たちを観察しているとかなりの数の蜂たちが後肢にたくさんの花粉をつけて帰ってきています。花粉は蜂たちのタンパク源になるんだそうです。幼虫たちはこの花粉と蜜とで育てられるそうです。
また花粉は若い蜂がいったん食べた後に分泌線から出る分泌物がロイヤルゼリーとなり、これを与えられて育てられた幼虫が女王蜂となるということです。
ところで多くの人が養蜂というと洋蜂の養蜂の巣箱を思い浮かべると思いますが、和蜂の養蜂の場合巣箱はたんに蜂たちが出入りできる穴の開いた密閉した空間を作ってやるだけです。前回の写真でお見せしたように単なる木の箱です。ただミツバチたちが集めた蜜をいただくために、箱が何層にも分かれていると言うことなのです。もちろん場合によってはそのような分かれた構造ではなく単一の箱の場合も有ります。ただ、和蜂はかなり神経質なところがあって巣が気に入らないとあっさり巣を放棄して他所に移ってしまうという性質があり、それを防ぐためになるべく蜂たちに採蜜の際に刺激を与えない方策としてこのように何層にもなった巣箱を利用します。
蜂たちは新しく作った巣房に卵を産み、幼虫を育て、幼虫が巣立った後に蜜を貯蔵するのだそうです。和蜂の巣は普通天井からぶら下がった形で巣房作りを始めますので、普通この巣箱の上の方には幼虫は居らず、蜜ばかりが溜まった巣房があります。ですから採蜜の際には巣箱の分かれ目に包丁を入れて、巣を切り離したうえで上の箱から採蜜します。そのさい取り除いた分だけ下から巣箱を補填しておきます。こうすることで、蜂たちには余り刺激を与えずに採蜜することが出来るという仕掛けです。
これは巣箱の中を下から見上げる形で撮影したものです。巣箱の中に見える十字の横棒は上部の巣房を切り離したときに巣房全体が落下しないための、支えの横木です。
最後の写真の中央右寄りの白く見える部分が巣房です。この部分に女王蜂が産卵して、幼虫が育ちます。
写真ではよく判りませんが、実際の蜂の動きは実に複雑で、巣棒の中が熱くなると蜂たちは巧みにつながって蜂たちの間を空気の流通が良くなるような空間を作って、全体で羽ばたきをして空調を効かせたりしています。彼らは実に不思議な生命体だという気がしてきます。]]>
和蜂の養蜂
http://naraku.exblog.jp/7945806/
2008-05-19T09:33:00+09:00
2008-05-19T22:02:15+09:00
2008-05-15T23:58:17+09:00
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蜜蜂のこと
と言うことで昨年和蜂の蜂群を分けてもらって飼い始めることにしたのですが、残念ながら越冬できずに全滅してしましました。どうやら原因は蜂群が小さすぎて蜂群の蜂たちの体温の維持が出来なかった事が原因ではないかと思っています。
そんな寂しい思いをひたすら我慢して、この春待望の分蜂群を手に入れたのですが初手からトラブルの連続。友人の飼っている蜂群が分蜂したとの連絡で、ギャラリーを閉めて駆け付けてみると友人宅の近くの松の木に分蜂した蜂たちが蜂球を作っていました。早速もう一人の友人が脚立に上って蜂を捕らえたものを我が家まで輸送の途中、巣箱の継ぎ目がずれて私の車の中は蜂だらけ。幸い家に帰るころには車の中で蜂球を作っていたので、何とか巣箱にほとんどの蜂を収めることが出来ました。ところが、翌日仕事に出て家を空けている間に、なんと猫が開けた戸の隙間から我が家の中に、かの蜂たちが進入。
私の部屋に至って袋小路に突き当たった状態で、ほとんどの蜂たちがそこで死んでいました。原因はよくわからないのですが、脱出口を求めて飛び回っているうちに体力が尽きて死んでしまったものか、温室のようになった部屋の中で体温が上昇しすぎて死んでしまったのか。そのへんのところはよく判らないのですが、いずれにしても大半の蜂たちが死んでおりました。とりあえず生き残った蜂たちを全て巣箱に戻し、様子を見たのですが一向に巣作りする様子がなく、蜂群も心なしか小さくなっていくような気がしていました。そして、2週間ほどしたある日とうとう巣箱の中の蜂群が一匹残らずどこかに飛び去っておりました。
2度目の和蜂養蜂も結局失敗に終わり、ガッカリしているところに三度分蜂した蜂群を捕まえたとの連絡が入り、今度は三度目の正直と言うことで早速我が家に連れて帰りました。今回の蜂群は今までのものに比べ蜂群の大きさは比べものにならないくらい大きく、しかも早速巣箱の中で巣作りを始めており大いに期待の出来る蜂群です。
秋には和蜂の純粋百花蜜を期待して、これから少しずつ彼らの様子を紹介していきたいと思っています。
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備中たかはし城下町 町家通りの雛まつり
http://naraku.exblog.jp/7555338/
2008-03-20T01:05:00+09:00
2008-03-20T23:44:45+09:00
2008-03-20T01:05:51+09:00
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勝手なこと
なんと、2年半ぶりくらいのblog更新です。飽きっぽい私にはHPにしてもblogにしてもとにかく何につけても継続性が全くありません。ですから今回のblog再開もいつまた飽きて放り投げるか自分でも見当がつきません。とりあえず今回は我が町のイベントのお知らせと言うことで、このblogを利用することにいたしました。
さてそのお知らせですが、私の住む岡山県高梁市で平成20年4月5日と6日に行われる"備中たかはし城下町 町家通りの雛まつり"をご紹介したくて久々のblog更新です。
"備中たかはし城下町 町家通りの雛まつり"は昨年から我が町の町内の有志が集って始まった、月遅れのひな祭りです。新暦3月3日は桃の節句と言うには少々季節が早く、浮かれ気分で雛と遊ぶには旧暦弥生の頃がやはりよく似合います。実際には旧暦の3月3日は今年は4月8日ですが、土曜日曜が5日と6日ということでこのような日程で行われます。そして4日には宵祭りも行います。この頃は高梁の町中を流れる谷川の紺屋川筋に植えられた桜も満開でひな祭りに花を添えてくれます。あぁ、ひな祭りには桃の花などと堅い話は置いておいて・・・
最近は全国的に各地で雛祭りが賑やかに行われています。高梁もごたぶんにもれずといったところですが、我が町内には雛人形の生産では日本一という"喜峯"ブランドの雛人形メーカーが有るということも"備中たかはし城下町 町家通りの雛まつり"開催のきっかけの一つになりました。昨年は、全くはじめての試みということで町内の皆さんが無我夢中で、ひな祭りの準備に奔走しましたが、フタを開けてみて訪れていただいたお客様の多さに驚いたり喜んだりの感動でいっぱいでした。
今年は昨年以上にお客様に喜んでいただこうと、いま最後のひな祭りの準備におおわらわです。町内の各戸に青竹の花入れを飾って町中を花でいっぱいにしたり、手作りの雛人形を準備したりと思い思いの趣向を凝らしています。ちなみに私も4日の宵祭りにあわせて、陶器の"町家灯籠"と名付けた吊り灯籠を各戸の軒先に吊してもらうための制作に猫の手も借りたい状態が続いています。(アハッ、私の作る焼き物の猫たちは素知らぬふりを決めこんでいます。)
そのほかにも、鯖ずしや甘酒、おこわ、ちらし寿司等々各自の得意な技術を生かした美味しい食べ物でおもてなしを計画している皆さんが、当日までがんばって準備をされています。
私の工房ではひな祭りの前後は教室の生徒さんたちの手作りの陶雛を展示したり、私の"寄り添い雛"を始め様々な造形作家のお雛様を展示、販売する予定でおります。
また、ひな祭りの2日間は1日目に私の指導で陶雛作り、2日目は彫刻家の講師を招いて石雛作りのワークショップも開く予定です。写真は岡山特産の万成(まんなり)石を使った講師の先生の作品です。もちろんワークショップで作る石雛はどなたでも完成させられるおひな様です。
"備中たかはし城下町 町家通りのひな祭り"に関しての詳しい情報はここをクリックしてください。
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http://naraku.exblog.jp/1207665/
2005-10-01T09:32:49+09:00
2005-10-01T22:04:30+09:00
2005-10-01T09:30:52+09:00
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造形のこと
前回ご紹介した作品の続きです。
個展の会期も今日、明日となってようやく気分的に一段落しました。今回の個展は準備期間も短く、作品の点数もわずかで、したかったことの多くが出来なかった気がしていますが、それなり個展というものはエネルギーを使うものです。
この作品は螺旋の上に螺旋のオブジェが乗っていると言った作品です。表面には金銀彩でさらにグルグルの渦巻きの唐草模様で埋め尽くすという、かなりしつこく螺旋が繰り返されております。まさに”spiranoia”と言うところです。
台座部分の螺旋には焼成傷が縦に大きく入っています。この様な一品作では作り直しが効かないので金継ぎ風に補修して居ます。
巨大な巻き貝と言った感じの作品です。もともと作品に棘を付けるのが大好きな私は、この作品も棘がいっぱいです。棘には金彩でトゲトゲ感を強調しています。グルグルと螺旋状に器体の中が空洞になっている感じを想像して貰えたら、と思っています。
これは、巻き貝をイメージした蓋物です。実際には蓋物としての実用性はほとんど有りませんが、グルグルの内部を覗くと言った感じが面白いと感じています。因みにこの作品は、もともと我が家のペットたちのメモリアルポットとしてイメージしてデザインした物です。
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spiranoia
http://naraku.exblog.jp/1140256/
2005-09-27T09:39:35+09:00
2005-09-27T20:34:14+09:00
2005-09-27T09:36:43+09:00
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造形のこと
”螺旋狂”等というと何とも穏やかではない気がするが、世の中には実際かなり螺旋に見せられた人達が居られるようです。
何となくネットを見ていると時々ずいぶんと、マニアックなサイトに出くわして楽しくなってきます。中でも理数系の人のサイトには我々、理数音痴にはまさにオタクとしか言いようのない(f(^ー^;)サイトが数多くあります。
理数音痴の私にとって、何だかちょっぴり理数分野の話が理解できるような気にさせてくれる、嬉しいサイトです。
とは言え、理数系の話の理解には結局至らない私は、頭の中のイメージを具体化して見せるより方法がありません。と言うことで、グルグルの焼き物を作り続ける訳なのですが・・・
(興味のお有りの方は、以下のURLにアクセスしてみてください。ただし直接リンクは張っていませんのでURLをコピペしてください。リンクの許可を取っていませんので、悪しからず!)
http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/index.htm
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/2607/index.html
さて今回の個展もようやく前半を終えて、何となく気分的にも肉体的にも余裕が出て参りました。やはり個展というものは何かと精神的にも、肉体的にも緊張するものです。
所で今回の展示作品の画像をご紹介します。先ずご紹介するのは前回2回とほぼ共通したイメージで制作した作品4点です。
この作品が今回の作品イメージの基となった作品です。作品の表面に書かれた文字のようなものは、ヴィオニッチ・マニスクリプトと呼ばれる、謎の古文書に書かれた文字のようなものを書いてあります。まったく意味不明の文書なのですが、人間のそうした意味不明の行為というものに心惹かれます。
この作品は小さな煉瓦を実際に一つひとつ積み上げて制作しました。制作日数は一月を遙かに超えてしまいました。元々、陶芸作品の場合一つの作品を作るのに何週間も掛けて制作すると言うことはあまりしませんが、そう言う行為を敢えてすると言うことに興味を感じています。それはもしかすると、以前穴窯で仕事をしていたときに、叩きで作品を作っていたときの作り方と、どこか共通している作業なのかも知れません。
逆ベクトルの螺旋で造形してみた作品です。何だか、有名なコルビジェのロンシャン教会の建物のような感じになってしまいました。
でも私としてはこの形態もかなり気に入っています。逆ベクトルの方が造形的にはかなり作りにくいのですが、出来上がりはなかなか面白い感じがしています。
この作品は、とにかく螺旋の形態の美しさを意識して作った作品です。そう言う意味では制作意図はかなり表現できたように思っています。(ちなみに、画像をクリックすると、多少は大きな画像で見ることが出来ます。)
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個展
http://naraku.exblog.jp/1051964/
2005-09-21T23:01:32+09:00
2005-09-22T08:27:54+09:00
2005-09-21T22:59:39+09:00
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造形のこと
メインテーマは螺旋なのですが、このテーマで個展をするのは今回が3回目となり、螺旋の持つ形態的な美しさというものにより興味が移ってきているように思います。以前は、螺旋というものの持つ哲学的な部分により興味を感じていたのですが、螺旋の造形を続けているうちにその螺旋の持つ優美で不思議な造形に、より素直に感動するようになって来た気がします。
と同時に、純粋な螺旋そのものを抽象的に表現するよりも、その螺旋の法則によって形作られる、形態を探っていくと言うことの面白さに目が向いてきたという感じです。
ちなみに、今回の個展は親しい詩人の作品とのコラボレーションと言うことでやってみました。当初、詩のディスプレーにも、色々と凝る予定だったのですが結局、予定外の時間をさかれ通常のパネル展示のみになってしまったのが残念です。
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今日が、個展初日
http://naraku.exblog.jp/1031947/
2005-09-20T20:55:00+09:00
2005-09-21T08:07:08+09:00
2005-09-20T20:53:13+09:00
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勝手なこと
いやはや、どうやらこうやら個展初日にこぎつけました。
今回は、結構時間的余裕があると思っていたら、パソコンが次々とハードクラッシュ!!
初めは電気窯制御用のPC-98がクラッシュ、何とか代替品を探してこちらは復旧したものの、今度はプリンタサーバーに使っていたMac G3がクラッシュ!DMを印刷する事ができなくなって、大弱り。最初はHDDが死んだのかと思っていHDDを交換したら、何とか動き出して、ホッとしたのもつかの間、今度は完全に呼吸停止状態。実は、貧乏な私は、古いCanonのBJ F6100と言うプリンターを使っていたのですが、コレがOS Xしか立ち上がらないG5には繋がらない!!CanonはOS X用のドライバー供給しろ!
そこでWinのノートから印刷しようと考えたのですが、よく考えるとコレには住所録ソフトを入れてない。結局、あわててG5に繋がるプリンターを購入、取り付けて、いざ印刷と言う段になって、何とMacの住所録ソフト”宛名職人”がインストールできない!
実は私の持っている”宛名職人”はアップグレード版。以前のバージョンが無いとインストールできいないんです。今頃昔の”宛名職人”なんかどこにあるのかさっぱり!あれこれ試して何とかインストール。
そんなこんなで、場外で時間をとられて、結局いつものようにギリギリ、セーフ状態の個展の初日でした。
しばらく、ブログの更新も滞っていましたが、またぼちぼち再開いたします。
それにしても、パソコンが無いとまったく仕事にならないことを今さらのように実感。しかもパソコンが正常に稼働しているときは、これくらい便利なものはないけど、いったん故障したときにはこれ程始末に負えないものも無いという、何ともやっかいきわまりない存在です。
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”アレキサンダー大王”と”アレキサンダー”
http://naraku.exblog.jp/764841/
2005-09-03T12:21:59+09:00
2005-09-04T22:08:09+09:00
2005-09-03T12:19:28+09:00
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映画のこと
最近、奇妙な偶然で”アレキサンダー大王”と”アレキサンダー”を続けて観た。
同じアレキサンダーでもこの二つの作品は全く別の人物の話なのだ。
”アレキサンダー大王”は、最新作「エレニの旅」がつい先頃公開された、テオ・アンゲロプロス。そして”アレキサンダー”は”プラトーン”などのハリウッドの社会派監督と言われるオリバー・ストーン。
はじめに全く別の人物と書いたが、もちろんどちらのアレキサンダーもある意味では、歴史上最も若くして自ら帝国を築き上げたアレキサンドロス3世がそのイメージの根元であることに違いはない。
と言って、この二つの作品を比較して見ても仕方のないことなのかも知れないが、たまたまどう言う偶然か、この同じタイトルを持つ二つの作品を、同時に見ることになり、この偶然さゆえ、あえて意味のないこともしてみる気になった。
私のブログの映画カテゴリーは、この偶然の出会いから始めることにしよう。
アンゲロプロスの”アレキサンダー大王”は19世紀から20世紀ににかけてオスマントルコの支配下にあったギリシャでアレキサンダー大王と呼ばれた義賊をモチーフとした作品である。今から20年近く昔に始めてこの作品のビデオを見たときは、当然のごとくアレキサンドロス3世の歴史スペクタクルを期待していて、完全にコケまくった事を覚えているのだが、肝腎のストーリーの方は約3時間半の上映中の殆どを居眠りで過ごしてしまって、全く覚えがないという体たらく。その後、この作品を見る機会が無く、ようやく先日DVDを手に入れて、念願の再会が果たせたのだ。
−− 20世紀を目前にしたある晩、アレキサンダー大王と呼ばれる盗賊の頭目と、その一味達は収監先の監獄を脱獄する。故郷に向かう彼等は、途中20世紀最初の日の出を楽しもうとしていた、イギリス人貴族達を人質として誘拐してしまう。こうして人質を伴って故郷に向かう彼等に加え、官憲の目を逃れて旅するアナーキストの一団までも合流して、彼等は目的の故郷にたどり着く。しかし彼等が監獄で過ごす間、そこは先生と呼ばれる男の指導のもとに、コンミューンの村に変わっていた。
アレキサンダー大王達は、村の決まりに従うことを条件に村に迎え入れられる。しかし全ての財産を共有化したコンミューンの村に、アレキサンダー大王の部下達の不満はつのっていく。彼等にとって先祖代々受け継いできた土地に対する愛着は、何物にも換えがたいものがあった。そうしたなか、彼等は自分達のコンミューンに対する不満の表現として、村人達の共有財産である羊を広場で虐殺する。その事を切っ掛けに村人とアレキサンダー大王達との亀裂が深まっていくのだ。
そして、その不満は大地主から返された村の土地を巡って、村人の間にも徐々に広まり、結局コンミューンという共同幻想も徐々に崩壊していく。 −−
この”アレキサンダー大王”という作品は、かつてペルシャに支配されたマケドニア人民を解放した、アレキサンドロス3世を下敷きに、アレキサンダー大王という義賊の行動を通して、権力、カリスマ、政治と言ったものの仕組みと仕掛けを我々の前に投げ出してみせる。
映画の観客の我々は、アレキサンダー大王と名乗る何かしら滑稽な男の行動の中に、現実の権力というものの雛型を見ているのだろう。このアレキサンダー大王と名乗る男は、物語の中でしばしば重要な場面で、癲癇の発作を起こして意識不明になるのだが、これが何を象徴しているのか。現実の政治でも、結局何時も肝腎の局面では政治というものは、機能不全に陥り何も役に立たないと言うことなのだろうか?
映画の中でアレキサンダー大王が「目が覚めたらこの大理石の像を抱えていた。重くて肘が痛い。これをどうすればいいのだ。」と言うような台詞を語るのだが、いかにもカリスマというものの本質を表す言葉だと思う。
人はカリスマによって動かされていくが、政治はそのカリスマをも何れ飲み込んで動いていくものなのだ。二人のアレキサンダーもカリスマの限界に達したときに、現実の政治に飲み込まれていくことが運命付けられていたのかも知れない。
一方、オリバー・ストーンの”アレキサンダー”の方は確かに豪華なセットや衣装で、目を引くが内容的には今ひとつ盛り上がらないストーリーなのだ。エンターテインメントとしては、中盤以降の遠征のシーンはいかにもくどい感じがする。かといって、この作品が娯楽性を無視してまで強いメッセージが感じられるかというと、それもまた疑問だ。
ただこの作品もほぼ3時間にわたる長編映画なのだが、その割に見終わっての満足感が少ない。結局エディプスコンプレックスの少年が、そのコンプレックスを解消できないまま青年となり、そのコンプレックスで東方遠征を企てたと言う事なのだろうか?それだけのために3時間もこの映画を見せられるのは、かなり辛いものがある。
もちろん好みもあろうが、オリバー・ストーンの作品は何時も独善的な匂いがして、何となく見終わって消化不良を起こした気分がするのは、私だけだろうか。
今回の作品に関して言えば、前半はいわゆるゲイとかバイとか言われる話がテーマなのかと思いきや、中盤からは激しい戦闘のスペクタクル。戦闘シーンの処理はまるで、タクティクスゲームを見るかのように、アレキサンダーの戦術家としての天才振りが描かれる。しかし同じ戦闘シーンもインド遠征の場面では、何だかまるで”ロード・オブ・ザ・リング”でも見ているような描かれ方になっている。
結局、それぞれのエピソードごとに映画の文法が微妙に違っている気がして、映画全体を通して今ひとつ統一感が感じられないのだ。
ただ、オリバー・ストーンがウォルフガング・ペーターゼンの”トロイ”のような娯楽作品としての歴史スペクタクルを目指していたのではないことだけは、なんとなく感じられるのだが・・
しかし、彼がこの作品でアレキサンダーの東方遠征とブッシュのイラク政策とをオーバーラップさせて語ろうとしているのであれば、それは余りにも短絡的に過ぎると言えないだろうか。
この二つのアレキサンダーというタイトルを持つ映画を見比べて、まったく下世話な話で申し訳ないのだが、そのコストパフォーマンスのあまりの違いに思わずため息が出てしまう。現実の興行収益という部分ではオリバー・ストーンの作品の方が遙かに高い収益を上げたことだろうが、観客の心に伝えるメッセージの重さとしては、そのコストパフォーマンスはアンゲロプロスの作品の方が遙かに上回っていることは間違いない。
後半だれてしまって、ただただ映画の長さばかりが気になる”アレキサンダー”に比べ”アレキサンダー大王”は中盤以降のアレキサンダー大王が故郷の村に帰り着いてからの展開は、3時間半という映画の長さをまったく感じさせない内容だ。
しかも、200億円を掛けて作った”アレキサンダー”のビジュアルは確かに素晴らしいが、”アレキサンダー大王”の画面の美しさはさすがにアンゲロプロスの感性の素晴らしさを感じさせるものだ。
物作りの一人として、この二つの作品を見比べたとき、どちらの作品により多く惹かれるかは自ずと明らかなような気がする。
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疲れたぁ〜〜〜っ!!
http://naraku.exblog.jp/742948/
2005-09-01T20:50:27+09:00
2005-09-03T12:15:05+09:00
2005-09-01T20:48:41+09:00
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勝手なこと
この数日間、古いパソコンに振り回されてクタクタです。
それも、古いと言ってもWin95と言った程度ではなく、MS−DOSの世界なんです。最近パソコンを使い始めた方には「それ、なにぃーーーっ??」って感じかも知れませんね。いや、少しパソコンを使い慣れた方でも、「聞いたことはあるけど、見たことは無い!」って言う方多いでしょうね!!
じつは今から十数年前までは、パソコンと言えば殆どがこのMS−DOSのお世話になっていたんです!!当時、マウスで全て操作できるマシンと言えばMacだけだったんです!!でも、当時はMacはパソコンのフェラリと言われ、我々貧乏人には無縁の存在でした。
この時代には、ちょっとしたアプリケーションは自分でプログラムしてと言うことが、ごく普通の時代でした。じつは私の電気窯も自分で組んだプログラムで制御しています。貧乏な私は、電気窯のコントロール用のマイコンを買うのが惜しくて、結局友人の協力を得て、自作で窯のコントローラーを作った次第です。所がこれがNEC製のPC−98シリーズを利用して作ったものなので、今や使えるパソコンが極わずかとなってきています。
その制御用に使用していたパソコンが突然動かなくなり、予備のパソコンを使おうと思ったら、これまた動かず、使えるパソコン探しに丸一日つぶれてしまいました。
古いパソコンに詳しい方なら、ご存じでしょうが当時のNECのパソコンは独自の規格で動いていたため、現在では逆にそれがネックになって利用しにくい部分があります。
窯をコントロールするシーケンサとパソコンを繋ぐインターフェースボードも98特有のCバスと言う、今では全く使われることのない規格だし、そのコントローラーを制御するプログラムも、NEC独自のMS−DOS上でしか作動しません。
そんなこんなで、Cバスを持った98シリーズをとにかく手に入れることが先ず第一!
あちこち探し回ってようやく一台手に入れたのですが、そのパソコンではどう言う訳か、以前使っていた外付けのHDDが認識しなくなってしまいました。そこで我が家にある古いジャンクパソコンから何とか作動するSCSIボードを探し出してようやく、HDDを認識!!しかし、中身のファイルはどうしても読み込めないんです。そこでフロッピーに一枚ずつ古いノートパソコンの中のバックアップファイルをコピーしては、手作業でHDDの復旧作業。まぁ、何とか動くように成って一安心と言うところです。
しかし作業は全てMS−DOS環境なので、殆どがコマンドラインからの入力!その上シングルタスクのOSなので、一つの作業を終了しなければ外の作業が出来ない、と言う今のOS環境では考えられないまどろっこしさ。やっぱり、Macの先進性は凄かったんだと、今さらのように感心しきり!!
写真は、復帰したシステムでの窯の自動制御と窯温度の自動測定プログラムの作動テストです。(下の写真は、画面の表示内容です。スイッチをONしたばかりでグラフ表示はまだ出ていません。)
パソコン本体はNECのPC−9821 V166 VALUESTARと言う,おそらく98シリーズ最後期のCバスマシンと言う、かなり古いマシンです。とは言え、電気窯の制御用には蠅を捕るのに鉄砲を持ち出すようなものですが。まぁ、これより古いマシンでは、マシンの作動自体が心許ないのと、既にそんなに古いマシンは手に入らないというのが実情です。
横に並んだ博物館級のHDDは、もしまたHDDがクラッシュしたときのバックアップ用のシステムです。家中に転がっていた昔のHDDをかき集めて、全てバックアップ用のシステムを入れてあります。古いHDDなので何時どれがダメになるか判らないというための、要慎です。
右端の機器が温度指示計とシーケンサーです。電磁リレーをシーケンサーで開閉するという極単純なプログラムですが、これでも結構役に立ってくれています。何れは大容量サイリスタを利用した温度制御にしたいと思っているのですが、私の能力がついていってくれません。
それにしても、今や手動で電気窯を焼くなどと言う作業は、とても考えられないような作業に思えてきます。
今回ついでに現在のプログラムをさらに改良しようと思い立って、プログラムを書き直そうとしたのですが、自分の作ったプログラムがさっぱりチンプンカンプン!とても今すぐには無理なので、直ぐに諦めました。まぁ、今のままでも窯を焚くには十分な働きをしてくれていますから!
実際の焼成時の画面はこんなふうに窯の温度がプロットされ、データファイルとして記録されます。
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茶碗
http://naraku.exblog.jp/655832/
2005-08-26T10:25:32+09:00
2005-08-28T21:17:33+09:00
2005-08-26T10:22:47+09:00
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造形のこと
タイトルの”茶碗”だが私としては碗の字が石偏というのが今ひとつ気になるのだが、どうやら通常表示の漢字には土偏の碗の字は無いらしい。
さて日本の国宝のなかで陶磁は確か14点が指定されていたと記憶している。(って、ちゃんと調べればいいのだが、根が無精な質なので・・)
内8点が茶碗が指定されている。ただし、このうち5点は中国の建戔手と呼ばれる中国の陶磁で、あの有名な耀変天目が3点と油滴天目と玳玻天目で、まさに稀少品的なお宝と言えるのでしょうね。それこそ耀変天目の名は、焼き物に興味を持ったら、取りあえずは耳にするほど有名なビッグネーム。確かにその怪しい美しさは伝世の宝物に相応しいものがあると言えるのだろう。
しかし私の個人的興味から言うと、茶碗として興味があるののは残りの3点である。
残り3点とは、志野茶碗 銘「卯花墻」と光悦楽茶碗 銘「不二山」、そして大井戸茶碗 銘「喜左衛門」である。
国宝の茶碗の中で唯一、作者が特定されるのが光悦の「不二山」である。楽家の楽を差し置いて脇楽である光悦の作品が国宝となっているというのも、何か皮肉な感じで私のような臍曲がりには実に痛快な想いがしている。やはり光悦の作品に「雨雲」というよく似た作品が有るが、こちらも重文に指定されているが、私にとっては甲乙付けがたい作品と言える。「不二山」の角張った無骨な姿に対して、「雨雲」の丸みを帯びた柔らかい姿はそれぞれ男振りと女振りという感じで、共に大好きな茶碗である。
実際のお茶の世界での評価は門外漢の私には判らないのだが、茶碗としての面白さから言うと楽代々の茶碗は、光悦のものに遠く及ばない気がするのだが・・
「不二山」と並んで、国焼き茶碗の国宝が「卯花墻」である。加藤唐九郎や荒川豊三、さらには彼等の影響を受けた現代の志野作家の茶碗を見慣れた目には、焼き色、釉薬の肌合い、造形どれをとってみても多少物足りなさを感じる位の、大人しい茶碗である。全体の器形は瀬戸黒などの”真一文字”に近い器形で、畳付からの立ち上がりの低い姿である。
内箱の裏に「やまさとのうのは那がきのなかつみちゆきふみわけしこゝ地こそすれ」と言う片桐石州の書き付けがあり、「卯花墻」の銘の由来を示すものとなっている。
個人的な好みから言うと私はこの「卯花墻」より、豪快な「峯紅葉」の方が好きなのだけれど、やはり小振りながら姿良く纏まった「卯花墻」は詫び茶の好みにかなうものなのだろうか。
そして残る一つが高麗茶碗の名品中の名品である「喜左衛門」である。
「不二山」や「卯花墻」が国宝に選ばれた経緯は、私には知るよしもないが、高麗茶碗の中から国宝を選ぶとすれば、おそらく十人が十人、きっとこの「喜左衛門」を選ぶに違いないと思う。
高麗茶碗の中でも特に珍重されてきた大名物手(大井戸)の茶碗の中でも群を抜いた素晴らしさは、衆目の一致する所ではないだろうか。
大井戸の中にあっては幾分開き加減の作りながら、全体の姿は実にバランス良く緊張感がある。また大井戸の特徴である高い高台も、どちらかと言えば低めに押さえられているが、その高台削りの絶妙さはまさに奇跡のような仕上がりである。「喜左衛門」などと共に三井戸と呼ばれる「細川井戸」と比べるとその高台作りに天と地ほどの開きがある。確かに「細川井戸」は全体の姿としては良く纏まった美しい大井戸の姿をしていると思うのだが、高台の削りは大井戸の約束である竹の節高台の体をなしていないと思う。
その他にも「喜左衛門」には実に多くの見所があり、この茶碗を置いて高麗茶碗を国宝にすることは出来ないと納得出来るのだ。
唐物茶碗の筆頭が「稲葉天目」であることに異論を挟む者は居ないのと同様、高麗茶碗の筆頭は「喜左衛門」を置いて他にない。では国焼き茶碗の筆頭は国宝である「不二山」か「卯花墻」の何れかという事になるのだろうか?
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